ドリフェスを失って感じた喪失感の大きさは好きな気持ちの大きさ故だけではないーバンやろを失って気づいたことー

ドリフェスに続き、また一つ好きなゲームを失うことになった。

帰宅途中電車の中でツイッターを眺めていたらバンやろが話題になっていたので、何かあったのかと検索をかけたところ、7月で更新終了とのこと。バンやろの前にも、フォトカツの終了もくらっていたため、私にとっては熱が冷めないうちに公式がいなくなるという経験は、これで立て続けに3件となってしまった。

なんかもう慣れてきたかもしれない。

 

わけねぇだろぉぉぉが!!!!!

 

もう残っているゲームたちもいついなくなってしまうかわからない。覚悟を決めておく必要があるだろうか。そんなことまで思い詰めてふと感じたのが、ドリフェスとバンやろのあけた穴がなんか他より大きい気がする!という感覚である。こういっては失礼だが、ドリフェスはともかくバンやろはとにかく楽曲と譜面が好きだっただけでそこまで思い入れがあるとは思っていなかった。しかし確かに失った穴は大きいのである。

そこで考えたのがドリフェスとバンやろに共通する部分が穴の大きさ決めているのではないかということ。

それにしても方向性も何も違うし……

 

結論から言うと共通点はあった。

ドリフェスは2次元+3次元=5次元として活動していた。2次元の7人と3次元の7人が合わせて14人で成長していく、というのが私にとってのドリフェスだった。2次元の役を演じているという枠にはとうていおさまりきらないほどに3次元が独立した存在だったのだ。私が失ったのは7人のキャラクターではなく、14人のアイドルたちだった。

それと同じようにバンやろもゲーム内のバンドに対して、特にOSIRISなどはリアルライブ活動が2次元からかなり独立した立ち位置にまで進んでいたように感じる。私が一番好きだったのがOSIRISだったのもあって、ドリフェスの時と同じように、私が失ったのはゲームのプレイヤーとして見守ってきた2次元のOSIRISとファンとして実際に3次元で行われるライブにも通った3次元のOSIRISの二つのバンドなのだ。

 

もちろん失った数がすべてではないと思う。

でも、もしドリフェスが普通に一般的なアイドルゲームで、演じるのが、ライブでステージに上がるのが、普通の声優だったら、いくらダンスがうまくて歌がうまくてステージ上でもアイドルを演じていたとしても、アイドルそのものにしか見えなかったとしても、それはあくまで2次元のキャラクターを演じるキャストであって、独立して活動することはできない。だから私が失うのは2次元の7人だったのではないか。

そういう状況に比べたら、喪失感が大きいように感じてもおかしくはないのではないかと、同じような状況のバンやろを失ってみて気付いた、そういう話である。

 

だから、ドリフェス以来、私の心にあいた穴は、ドリフェス・バンやろ・フォトカツの三つではなく、大好きな2次元の7人のアイドル達、大好きな3次元の7人のアイドル達、大好きなバンドが二つ、大好きなアイドルの女の子たちの五つといえるのである。

心にこれだけ穴があけば、そりゃスカスカだと感じる。

 

つらい。